礼拝でのお話

23年前の昨日以来

聖書の言葉

いかに幸いなことでしょう。
あなたによって勇気を出し心に広い道を観ている人は。
嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。
雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

新共同訳旧約聖書 詩編84編6-7節

 

23年前の1月17日のことです。1995年1月17日早朝、兵庫県を中心にとても大きな地震が起きました。阪神大震災と呼ばれています。当時わたしは京都に住んでおり、大学院に通っておりました。ちょうど大学院を修了し4月からは社会に出るという準備をしていました。私の住んでいた京都もだいぶ揺れて、びっくりして起きたのを思い出します。その頃、わたしは神戸にある教会にアルバイトも兼ねて出席していました。これは大変だと持てるだけの荷物を持って、阪急電車の西宮北口駅から何時間かかけて歩いて行ったのでした。たくさんのこわれた建物を目のあたりにしショックを受けたのを忘れることはできません。教会の人の中にも住んでいる家を失ったり、家族を失った人がいました。6434人が犠牲になったそうです。

それ以来、23年経ちます。学生だったわたしも仕事をするようになり23年経ちました。その23年間の間にもいくつかの地震が起きました。東日本大震災や熊本地震は皆さんの記憶にも残っているだろうと思います。地震が起き、被害があり、亡くなる人がいる。家を失い、避難生活を送らざるを得ない人たちがたくさんいる。何とかならないのかと思います。どうしてこのようなことが何度も繰り返されるのかと悲しい思いになります。しかし、これからもどこかで地震は起こるだろうし、大きな地震が起こる可能性が高い研究者たちが語っているのは皆さんも知っている通りです。

けれども、わたしたちはそれらの出来事から「何をしても無駄」とか「仕方ない」ということを学ぶべきではないと思います。辛い思いをする人がいる。それらの人々に思いを寄せ、何とかならないのか、自分は何ができるのかを考え行動する人になりたいということです。悲しむ人たちもその悲しみに共感し、その人たちを支える人になりたいということです。皆さんそれぞれが、そうなりたいと願うならば、きっとこの国は今より良くなるのではないだろうかと考えています。まずは、知っているということ、憶えているということ、忘れないでいるということからはじめていきたいと願います。(1月18日)

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