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お知らせ

礼拝でのお話

狭い門から入る意味

宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。

日本聖書協会 新共同訳 新約聖書 マタイによる福音書7章13~14節

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2016年という新しい年が始まり、すでに半月がたちます。今日は高校の推薦入試、明日は中学校の入学者説明会が行われることになっています。今年4月にこの学校に入学してくる人たちのための作業が行われる時期となったわけです。皆さんにもそのときがあったように、今年も入学試験というものを経て、聖愛に入ってくる新しい人たちを選ばせていただくことになるわけです。

入学というのを入り口、卒業というのを出口と考えることができると思います。高校3年生の皆さんにとっては、もう出口がはっきりと見えている状態です。自らの進むべき先を見つけ、聖愛から出て行く。毎年繰り返されることながら、それぞれができる限り進路を決定して、夢や希望にあふれて出口をくぐって欲しいと考えています。

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今日、わたしが皆さんに心に留めて欲しい言葉はイエスが語ったとされるものです。「狭い門から入りなさい」とイエスはわたしたちに語りかけます。門とは入り口であり出口でしょう。広々とした入り口や出口を通るのではなく、狭い入り口や出口を通って進んでいきなさいと教えているのです。一体イエスは何故このようなことを語りかけているのでしょうか。それをわたしはこのように考えています。わたしたち人間は(わたしも含めて)、多くの場合、苦労が少なくてラクに生きられる方法を選んでしまいがちです。「苦労は買ってでもしろ」ということわざがありますが、実際にはなかなかそうできないのです。辛いこと、厳しいことはわたしたちにとって嫌なこと、不快なことだからです。

そのようなわたしたち人間のことを知った上で、イエスはこの「狭い門から入りなさい」という言葉を語っているのではないかとわたしは考えているのです。わたしたちがなかなか見いだし得ない。なかなかそこへ進めない。そのような狭い門がある。けれども、その門は命に通じる入り口であり出口なのである。イエスはわたしたちにそう教えてくれているのではないでしょうか。入り口と出口とは、1つの区切りです。良い区切りを迎えられるよう、それぞれが日々の生活をきちんと送っていければいいと願っています。(1月15日)

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