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お知らせ

礼拝でのお話

われらの歩みを平和の道へと

宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

これは我らの神の憐れみの心による。
この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。

日本聖書協会 新共同訳 新約聖書 ルカによる福音書1章78~79節

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ルカによる福音書のイエス誕生物語には、イエス誕生に先立って、洗礼者ヨハネという人の誕生物語が記されています。洗礼者ヨハネとは、イエスより先に現れ、イエスの先駆者として考えられている人物です。そのヨハネの父はザカリア、母はエリサベトという人でした。今日読んだのは、「ザカリヤの預言」と呼ばれているものの一部分です。

今日読んだ中にこういう部分がありました。「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」洗礼者ヨハネという人がこの世に生まれてきたのも、神の憐れみの心によるものだというのです。憐れみの心というと、上から下、上から目線というように感じるかもしれません。しかし、ここで言われているのは、そういうことではありません。神がわたしたち人間の状況を見て、心を痛められたというようなニュアンスです。

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考えてみるに、2000年前のユダヤの状況も、あまり良い状況ではなかったのです。暗闇と死の陰に座している者たちとは、希望を見いだせず絶望の中に生きざるを得なかった人々のことでしょう。そのような人々の状況を見て、神は心を痛められた。そして、洗礼者ヨハネをこの世に生まれさせ、そして、やがてイエスをこの世に生まれさせるのです。クリスマスとは、希望を見いだせなくなり暗く沈んでいた当時の人々に神が心を痛め、イエスという一人息子をこの世に送り出したという出来事です。

わたしたちの中にも、希望や喜びを見いだし得ない状況があるのかもしれません。あきらめや仕方なさがあるのかもしれません。けれども、やがてクリスマスを迎えるアドベントのこのとき、わたしたちに注がれる神の憐れみの心に気づきたいと思うのです。神から見守られ、愛されている存在としてわたしたち一人一人がここにいます。どんなに絶望していても、やがてクリスマスが来ます。クリスマスとは希望の訪れ、平和の訪れでもある。そのことを憶え、アドベントのこのときを一日一日大事に過ごしていきたいと思います。(12月3日)

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