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お知らせ

礼拝でのお話

礼拝堂の椅子

宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。
喜びをもって生き 長生きして幸いを見ようと望む者は
舌を悪から 唇を偽りの言葉から遠ざけ
悪を避け、善を行い 平和を尋ね求め、追い求めよ。

日本聖書協会 新共同訳 旧約聖書 詩編34編12-15節

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今年の夏で戦後70年ということは皆さんも知っていると思います。いくらニュースや新聞を見ない人でも、どこかで耳にしたことだろうと思います。8月15日に第二次世界大戦・太平洋戦争に日本が負けてから70年が経ったのです。日本が戦争をしていたことを知らない世代も増えています。皆さんもそうだろうと思います。実際に戦争を体験した人々も少なくなりました。わたしもその一人です。

この学校は創立129年を迎えたことは知っていますね。ということは、この学校は戦争を経験した学校だということです。この礼拝堂には皆さんに座る椅子があります。大変立派な一枚板でつくられており、丈夫でとても良い椅子です。落書きや傷があるものもあるのですが、これからも使い続けていきたいので、ぜひ大事に使って下さい。

この椅子たちは、戦争を経験した椅子です。戦争末期、青森市は空襲のために焼け野原になりました。弘前への空襲も時間の問題となってきました。当時、坂本町(今の弘前郵便局のすぐそばです)にあったこの学校は建物疎開といって爆弾が落ちたとき、火事が広がるのを防ぐ対象になりました。建物がすべて取り壊されそうになったわけです。結果的には、坂本町の校舎を取り壊し建物疎開することはまぬがれました。その前に戦争が終わったからです。

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けれども、この椅子たちは疎開を経験しています。この重たい椅子を当時の生徒たち(女子です)が、戦争によって燃やされたり壊されたりするのを防ぐために、運び出したというのです。小比内に運び出したそうです。もちろんトラックなんかありません。生徒たちの力で運んだのです。戦争が終わった日、1945年8月15日も、「3年生以下の生徒たちは、朝から礼拝堂の長椅子の搬出にあたった。現在も使われているあの重い長椅子を小比内に持ち運ぶ重労働である。その列が松森町にさしかかった時、馬に乗った軍人が『すぐ学校に帰れ』と馬上から大声で伝えながら駆け抜けていった」と弘前学院100年史が伝えています。馬に乗った軍人は、戦争が終わったということを伝えようとしたのでしょう。

当時の生徒たちが、何とか戦争から守ろうとした椅子。それが今皆さんが腰掛けている椅子なのです。壊されないために椅子を運んだ生徒たちも年をとり、すでに天国へ旅立った人たちが多いでことでしょう。椅子はものを言いません。今も多くの生徒を受けとめ、ただ礼拝のひとときを支えています。戦争は人を壊します。人の心を破壊し、また人のからだを破壊し、人の命を人の生活を破壊します。と同時に、人が大事にするものをも破壊しようとします。わたしたちは二度とそのような時代をつくり出してはならない。今年8月を終えるにあたり、わたしが皆さんに伝えたいのは礼拝堂の椅子のお話です。(8月26日)

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