聖書の言葉

「二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

日本聖書協会新共同訳聖書 新約聖書 ルカによる福音書24章32節

 
先日4月21日の日曜日はキリスト教の暦では1年で最も大事な日、イースターでした。イエス・キリストが裁判にかけられ、十字架刑になり死んだとされる日受難日から3日目がイースターです。日本ではなじみが薄いかもしれません。イースターは移動祝日といって、毎年日が変わります。春分の日の後の最初の満月の次の日曜日と決められています。今年は4月21日でしたが。昨年は4月のはじめ(4月1日)でした。毎年日が変わるのです。そのためなじみがないのかもしれません。でも、イエスが誕生したとされるクリスマスよりもずっと以前から祝われていました。イエスが復活したという事柄に春の訪れを重ねて、新しい希望を見い出そうとしていたのでしょう。

今日読んだのもイースターの出来事の中の1つの物語です。イエスに従っていた弟子たちがイエスの死により失意と絶望の中歩いていたという場面です。エルサレムからエマオという村に向かっていたとあります。大都会のエルサレムから、まさに都落ちとでも呼ぶように小さな村へと向かっている状況です。

そのような道の途中で、復活のイエスが弟子たちに伴って歩いていた。最初弟子たちは自分たちの隣を歩いていたのがイエスだと気づきませんでした。けれども、その人がイエスであることに気づきます。そのイエスに励まされ、弟子たちはエマオへ帰るのをやめエルサレムに戻ったと書いてあります。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」という言葉があります。とても素敵な言葉です。

師匠であるイエスが自分たちの目の前からいなくなり、失われた。終わりを迎えた。もう駄目だ。そう考えていた弟子たちが新しいはじまりを迎えた瞬間です。ここから新しいスタートである。再びはじまる。今日読んだ物語はそのようなイースターのメッセージを伝えてくれています。わたしたちも今、はじまりの時へと招かれています。この1年どのように過ごしていこうとしているのか問われています。色々なことが起こるでしょう。でも、勇気を持って、心を燃やし、共に歩いていきましょう。

(4月24日)