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お知らせ

礼拝でのお話

居場所

宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」

旧約聖書 創世記16章8節

I

「住めば都」という言葉をご存じでしょうか。住み慣れればどんな環境でもそれなりによく思われるものだという意味の言葉です。わたしはこの町に住むようになって5年目ですが、最近「住めば都」ということを考えます。来た当初はなかなかなじめませんでした。まずみんなが何を言っているのかよく聞き取れませんでした。あるいは「この人はどうしてこんなことをするのだろう」と考えたりもしました。教師という仕事がはじめてだったせいもあるでしょう。自分にはむいていないと思いました。そして、ここを去ってどこかに行くことをしばしば考えました。わたしが生きる場所はここじゃないどこかなのではないか、別な場所に行けば自分をもっと生かせる何かがあるんじゃないのかと考えていました。
しかし、この頃そんなことをあまり考えなくなりました。弘前に来てはじめて出会った人々との人間関係もできてきましたし、そのことがわたしを支えてくれています。弘前に慣れたし、この町にはたくさん素晴らしいところがあると発見できました。自分のいるべき場所はここであって、自分を生かせる場所もここなのだと考えるようになったのです。言うなれば、自分の居場所を見つけたということなのでしょう。
これは必ずしもわたしだけではありません。みんなそうなのだと思います。3年生の皆さんはあと4ヶ月後にはこの学校を去ります。新しい土地に出発していく人もたくさんいるでしょう。そこで新しい人間関係ができ、新しい居場所ができていくことでしょう。今そのための準備をしているはずです。1年生や2年生もやがてはそうなりますし、クラス替えのときなども自分の居場所を見つけださなければならないはずです。誰かが自分の居場所をつくってくれるのではないし、自分自身で見つけなければならないのだと思います。

II

今日の聖書も居場所に関する物語だと思います。ハガルという一人の女性が自分の子どもを連れて荒れ野を逃げていくという場面です(余談ですが、この物語は創世記21章にもあります)。子どもがいなかったアブラムとサライの夫婦のためにハガルが子どもを産み、そのことがトラブルの原因となりハガルは家を追われてしまったのです。「サライが彼女(ハガル)につらくあたったので、彼女はサライのもとから逃げた」と書いてあります。この時代は身分制度の時代です。主人であるサライは奴隷であるハガルにとって絶対でした。ハガルという人は自分の居場所を奪われて、居場所をなくしてしまった人だと言えばいいかもしれません。その故に荒れ野をさまよい、ここじゃないどこかへ向かって歩いているのです。
そんな彼女に主の御使いが現れます。そして語りかけるのです。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」と。そんなことはわかりきっています。自分につらくあたった主人サライのもとから逃げているところなのです。自分の居場所をここじゃないどこかに探しているところなのです。ところが、主の御使いは「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい」と言います。「帰れ」と命じるのです。あなたの居場所はあそこにしかないのだというのです。
確かに逃げた先で新しい展開が開け、新しい居場所ができるかもしれない。でも、また同じことの繰り返しになってしまう可能性もあります。あるいは、もっともっと状況が悪くなることがおこるかもしれないのです。主の御使いはおそらくそのことを知っているのでしょう。だからこそハガルに対して「帰りなさい」と語っているのだと思います。
困難な場面、厳しい現実、耐え難い事柄から逃れたいという思いは誰にでもあります。自分の居場所はここじゃないどこかだと考えてしまうこともあります。ということは、わたしたちもまたハガルと同じように「あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」という問いかけを受けているのだと思います。今自分のいるこの場所で自分のできる限りの力を尽くしてみること。それこそがわたしたちのできることなのだと思います。そして、それが自分の居場所をつくり出す作業なのだと思います。果たして今わたしたちそれぞれはどこから来て、どこへ行こうとしているのでしょうか。

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