聖書の言葉

既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。

日本聖書協会新共同訳 新約聖書 マルコによる福音書15章42-43節

この箇所は、イエスが裁判を受け死刑の判決を受け、そして十字架につけられて死んだという出来事の後の物語です。アリマタヤのヨセフという人物が登場します。イエスの遺体を引き取り、墓に葬った人です。死刑になったイエスの遺体を引き取ることは、アリマタヤのヨセフにとってとてもリスキーなことでした。「お前も死刑になった極悪人のイエスの仲間だな」と責められるかもしれない。自分の地位が危うくなるかもしれない。そう考えたはずです。でも、彼はイエスの遺体を引き渡してくれるようローマ総督ピラトに願い出ます。

ここに「勇気を出して」という言葉が書いてあります。アリマタヤのヨセフはこのことを「勇気を出して」行おうとしたのです。わたしは、この「勇気を出して」という言葉に励まされます。何か新しいことを行うことは、簡単なようで決して簡単ではありません。人間は誰でも今日と同じが明日も続いてくれることが一番ラクだと知っているので、新しいことを行おうとなかなか思い切れないのです。これまでのわたしもそうでした。しかし、あるとき、「勇気を出して」アリマタヤのヨセフになろうと考えるようになりました。リスキーでしょうし、不安です。仕事がなくなればどうやって生きるんだとも言われるでしょう。

だからこそ、わたしは「勇気を出して」今でないとできないことをやってみたいのです。これ以上トシをとったらできないくなるかもしれない。だったら今やろう。それがわたしの最善であるという判断をしたのです。皆さんも、これからの人生の中で「勇気を出す」ときを見極められる人になって下さい。そして、いつもそのときの最善を尽くす人になって下さい。新型コロナウイルスにメゲそうにもなりますが、これもいつか収束するはずです。体と心に気をつけて、新しい年度を迎えて下さい。

お祈りします
神さま、愛する聖愛がこれからもよい学校であるようお守り下さい。生徒と教職員が一人一人の力と思いを合わせてよきものをつくり出していくための努力ができますように。あなたに守られ支えられ、より良く育つ一人一人でありますように。イエス・キリストによって祈ります。アーメン

(3月17日)