宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

目をまっすぐに前に注げ、
あなたに対しているものにまなざしを正しく向けよ。

旧約聖書 箴言4章25節

I

ときどきわたしたちは、ここから去って別な場所に行けば全く違う自分になれるような気がします。今の場所に満足することができないということです。今の自分にどうも納得がいかないということです。自分のいるべき場所はここではないんじゃないかと考えてしまう、別な場所へ行けば新しい可能性が開けたり自分の持っている力を十分に発揮できるんじゃないかと考えたりするわけです。
あるいは、「こんなはずじゃなかった」とか「あの人がいるから嫌だ」とか理由をつけて自分を正当化しようとします。自分の能力が発揮できないことをまわりのせいにして、自分は悪くないんだと開き直ってしまうのです。誰かと自分を比べ、卑屈になって「どうせ自分は」とすねてみたりしてしまうのです。
どう考えてみても、わたしたちの能力とか才能は平等に与えられてはいません。さらに、わたしたちの生きている現実にも様々あり、それも決して平等ではありません。色々なものを豊かに持っている人もいます。とても厳しい現実の中で生きている人もいます。一生懸命頑張っているのになかなか報われず悔し涙を流し続ける人もいるのです。
しかし、だからといって、才能や能力がないことが悪いことであり、どう努力しても仕方ないんだということではないと思います。そして、一生懸命頑張ったことや流した涙がむなしいものになってしまうわけでもないと思います。たとえ限られた中であったとしても精一杯に自分のなすべきことをやり抜こうとする姿はなにものにも代えがたい貴いものです。

II

今日の聖書もそのことを語っていまると思います。「目をまっすぐに前に注げ、あなたに対しているものにまなざしを正しく向けよ。」と記してあります。この言葉が意味するものは今ある自分の現実を大切にしなさいということだと思います。自分のおかれている場所がどんなとこであろうとも、たとえこんなはずじゃなかったと思うようなところであったとしても、そこがあなたの生きる場所なんだというのです。現実に今そこで生きている。その中で精一杯にやり抜きなさいと命じているのです。
他人と比べたら悲しくなるような自分。力を十分尽くせない悔しさの中に生きる自分。努力してもなかなか報われない自分。それでもしっかりと前を向いて今の現実を見つめなければならないのではないでしょうか。今の現実を大切にしなければならないのではないでしょうか。
たとえどこへ行こうとも、ここではないどこかに去ったとしても、今度はそこがわたしたちの現実となります。わたしたちは現実に向き合いながら何とか未来を切り拓いて生きていかなければなりません。求められているのは、まっすぐ前を見るまなざしです。自分とまわりを見つめる勇気あるまなざしです。自分自身を冷静に眺め、たとえ現実がどうであったとしても、今をしっかりと生きていきたいと願うのです。