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SEIAI JOURNAL

聖愛ジャーナル

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宗教主任 石垣 雅子

決して語り尽くすことはできない

聖書の言葉

わたしの口は恵みの御業を、御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできません。

日本聖書協会新共同訳 旧約聖書 詩編71編15節

I

 「大阪城をつくったのは誰でしょうか?」というなぞなぞを知っていますでしょうか。これはなぞなぞ(クイズ)だというところがポイントです。答えは、「豊臣秀吉」ではありません。このなぞなぞの答えは「大工さん」が正解なのです。「なーんだ。くだらない」と思わないで下さい。ちなみに、今ある大阪城は豊臣秀吉がつくらせたものではありません。豊臣が徳川に滅ぼされる歴史の中で、豊臣秀吉がつくった大阪城は破壊され、徳川が治める世の中になってから徳川秀忠がつくったということです。大阪の人に「太閤はん(豊臣秀吉)のお城」と呼ばれているお城は、壊され、すでに残ってはいないのです。
わたしは大阪城をつくったのは誰かという問いに、徳川秀忠でも豊臣秀吉でもなく「大工さん」とすることに注目したいと考えているのです。権力を持つ誰かが、自分の権力を誇るために巨大な建造物をつくる。例えば、エジプトのピラミッドはクフというファラオ(王様)が、中国の万里の長城であれば始皇帝がつくったということになっています。確かに、そうでしょう。そういう知識は大事です。でも、権力を持つ人は実際の作業にはあたっていません。大阪城をつくったのは、たくさんの大工さんや石工さんや、作業に借り出された人々です。たくさんの人々がその作業のために集められ、実際に作業にあたった。それらの人々の多くはその名前すら知られてはいないことでしょう。が、それらの人々の働きなしには大阪城はできなかった。権力を握り、何かを成し遂げた有名な人がいる。それが歴史です。が、その影には歴史をつくった権力者のために自らの働きをなし、名前も知られていない多くの人々がいるのです。
イエスが誕生した2000年前のユダヤはローマ帝国が権力を握っている状況でした。ルカによる福音書のイエス誕生物語に、皇帝アウグストゥスの名前が出てきます。《そのころ、皇帝アウグストゥスが全領土の住民に登録をせよとの勅令を出した》とあります。皇帝アウグストゥスが治めている全部の土地に住んでいる人々に住民登録をしなさいと命令したわけです。ユダヤもローマの支配が及んでいた地域です。だから、イエスの母マリアと父ヨセフも登録をせざるを得なかった。そして、住民登録とは今とは異なり、支配している地域からきっちりと税金を集めるためにローマがとった政策です。「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」はこのような政策によって成り立っていたのです。
ローマ帝国は国の繁栄のため、その支配が及んでいる地域からお金や収穫物を厳しく取り立てました。イエス誕生の出来事の裏側には住民登録という過酷な現実があったのです。人々はローマ帝国の出した命令に逆らうことはできず、従わざるを得なかった。イエスの母マリアも父ヨセフも、この命令のためにガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムへ移動した。そのベツレヘムで、イエスが生まれた。権力を持ったローマ帝国のアウグストゥス、すなわちオクタビアヌスの名前は現代に伝わっています。世界史の教科書にも必ず載っています。が、彼の出した命令で果たしてどれだけたくさんの人々が右往左往し、大変な思いをしたのかは本当のことはわかりません。権力ある者の意向によって動かされた人々の中にイエスの両親となるマリアとヨセフがいたのです。

II

 このことは、歴史の中心には生きていない人々が主人公となった物語であると言って良いのではないでしょうか。歴史書では語られない物語がイエスの誕生物語なのだということです。これは、ルカによる福音書において、イエス誕生の知らせが一番最初に届けられたのが羊飼いたちであったということからもわかります。羊飼いとは当時の社会の中で汚れている仕事だと考えられていた職業の人々です。加えて、屋外でする仕事ですから過酷です。毎日羊に草や水を与えながら、屋外を住み家として生きなければなりません。仕事ですから、羊泥棒や獰猛な動物から飼っている羊を守らなければなりません。それなのに、人々からは良い仕事だとは思われていなかった。汚れている仕事だと思われていた。でも、生きるためにはその仕事をせざるを得なかった。苦労している。辛い思いをしている。報われない。そのような羊飼いたちに、救い主誕生のニュースが一番最初に天使から告げられたのです。歴史の中心ではない、隅っこの方で生きていた人々に、びっくりするニュースが届けられたのです。そして、彼らはそのニュースを聞いて、素直に信じて、急いでベツレヘムまで向かいます。疑わないで、信じたのです。ぐずぐすしないで、救い主イエスに会いに行ったのです。
さらに、救い主イエスの生まれた場所もひどいものです。「布にくるんで飼い葉桶」に寝ている乳飲み子がその赤ちゃんだというのです。ルカによる福音書は「飼い葉桶」というのを三回繰り返していますので、このことが強調されていることがわかります。「飼い葉桶」のある場所とは、飼い葉を食べる動物がいるところ、すなわち家畜のいる場所です。その夜ベツレヘムで何人の赤ちゃんが生まれたかはわかりませんが、家畜小屋で生まれた赤ちゃんはイエス一人だったのでしょうから、飼い葉桶が羊飼いに伝えられた目印となったわけです。マリアとヨセフが宿屋には泊まる場所がなかったため、マリアは家畜小屋で出産せざるを得なかった。救い主が生まれたのは、皇帝アウグストゥスのいるローマの宮殿の中ではなかった。ユダヤの王ヘロデのいる王宮の中でもなかったのです。ベツレヘムの町の中、誰も顧みない場所で救い主イエスが誕生したのだと記されているのです。そして、名前も伝わらない貧しく大変な思いをしていていた人々にその出来事が伝えられていったという物語なのです。
もう一つ、わたしは思わせられることがあります。それは、大きな建造物をつくった後に、あるいは大きな建造物をつくる故に、その生命を絶たれた人たちがいるということをです。『肥後の石工』という今西祐行という人の作品があります。肥後の国、今の熊本県の職人たちが石でできた丈夫な橋をつくれる。その技術を持っている。でも、ある橋をつくった後、国の境で皆殺されるのです。そのための専属の刺客が送られ、作業が終わった後、秘密を守るために殺される。「永送り」と言います。ひどい話です。イエス誕生物語でも、イエスが生まれたことで不安になったユダヤ王ヘロデが、自分の地位を守りたいがためにベツレヘム近郊にいる2歳以下の男の子を殺したという記事がマタイによる福音書にあります。本当にひどい話です。皆さんも中国の「兵馬俑」は皇帝に殉死する人々の代わりに人形を埋めたのだということを知っておられることかと思います。歴史の中心にいる権力を持った者が、人々を自らの目的ために利用する。そして、殺す。それが、あたり前のことだった。あんまりです。

III

 だからこそ、わたしはイエスの誕生の出来事に希望を見出します。その出来事は決して歴史書には書かれなかった物語です。でも、力なく弱い人々が、自らの役割を果たしていった物語です。貧しく虐げられた人々が必死に頑張った物語です。救い主イエス自身も、立派な場所でみんなに見守られながら生まれていたのではなく、歴史の隅っこの注目されないような場所で生まれてきた。一人の人間の赤ちゃんとして生まれてきました。そして、やがて成長し大人となったイエスは十字架の上で無残に殺されていきます。が、人々はイエスのことをキリスト(救い主)だと信じました。愛や希望を語り、人々を励ます存在だったからです。イエス・キリストの、その言葉に、その行動に支えられ、勇気を得た人たちがいる。この学校もまたそう信じた人たちによってつくり出され、その思いを受け継いできたのです。
最後に、12月4日にアフガニスタンで銃撃され亡くなった中村哲さんのことに触れます。アフガニスタンの人々のためには水が大事だと考えて用水路を引き水を行き渡らせる活動を続けている中、何者かに撃たれて亡くなりました。わたしは中村さんは、大阪城をつくった大工さんなのだと思っています。あるいは、イエスに会いに急いで行った羊飼いたちなのだと思っています。歴史の中心で生きていたのではなく、誰も顧みない隅っこで自分のやるべき仕事を懸命に果たしていた、一人の勇気ある人だったのだと思っています。彼は「一隅を照らす」という最澄の言葉を好んで書いたそうです。自分の今いる場所で最善を尽くすという意味です。まさにその言葉を実践した生涯だったのだと思います。
クリスマスのこのとき、わたしたちがもう一度思い起こさなければならないことはそのような志を持って生きるということではないでしょうか。その志はどんなことがあっても決して滅ぼされることはない。歴史を本当につくり上げていくのは、権力を持った人たちではないのです。力なく弱い小さな人たちなのです。この世の片隅で一生懸命に自らの最善を尽くす人たちなのです。マリアやヨセフ、羊飼いたち、大阪城をつくった大工さんや肥後の石工たち、中村哲さんなのです。たとえ、わたしたちがどんなに小さな力しか持っていないとしても、自分の今いる場所で、自分の最善を尽くそうとすること。未来に希望を持ち、あきらめずに前を向いて進んでいこうとすること。愛や希望を語り、人々を励ます存在となったイエスの誕生したこのとき、わたしも皆さんも、かくありたいと願うものです。

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