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SEIAI JOURNAL

聖愛ジャーナル

トピック・イベント

2016年クリスマス礼拝

2016年12月23日(金)弘前市民会館大ホールにてクリスマス礼拝を行いました。
本校のクリスマス礼拝は、救い主イエス・キリストの誕生を祝い、その喜びを分かち合うためにおこなわれています。

今年も多くの保護者・卒業生・一般の 方々と共に礼拝を捧げることができました。
私達も大きな困難を抱えながらクリスマスを希望として受け入れることができますように。

このページでは、クリスマス礼拝の様子や、説教、献金、生徒たちの感想についてご報告します。

2016年クリスマス礼拝説教献金生徒たちの感想

招きの言葉

礼拝への招きの言葉として、旧約聖書147編1~7節の言葉を聖書朗読者が読みました。

点火

高校3年生によるハンドベル「もみの木」の音色と共にアドベントくランツのロウソク4本に火が灯ります。

間奏

中学1年生のアルトリコーダーおよび高校3年生のハンドベルで「とおい空のかなたから」という曲を演奏しました。


受胎告知

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカによる福音書2:1-7)

救い主イエスの誕生

彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカによる福音書2:1-7)


羊飼いたち

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
その喜びを賛美歌「まきびとひつじを」と「あらのの果てに」にのせて歌います。
「あらののはてに」はオブリガートと呼ばれるパートと共に歌います。

占星術の学者たち

イエス誕生の知らせを受けて、東の国から星に導かれて占星術の学者たちが駆けつけました。


吹奏楽部

吹奏楽部には毎年、伴奏などを担当し、重要な役目を果たしてくれています。

説教

「裁くためではなく、救われるために」と題して、石垣雅子宗教主任です。


さやかに星はきらめき

『O Holy Night』として知られているクリスマスの讃美歌です。

献金

生徒・教職員、ご来場の方々から献金が寄せられました。献金は、アジア・アフリカの人々のために献げられます。
生徒・教職員・市民会館に来て下さった方から献金が寄せられました。
この世界において困難な立場にある人々や支援を必要としている人々のために献げられました。


ハレルヤ

毎年クリスマス礼拝の最後を飾るのは「ハレルヤ」(ヘンデル作曲オラトリオ,メサイアから)です。
この「ハレルヤ」と「さやかに星はきらめき」は、卒業しても心に残る曲のようです。

文中の聖書の引用は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 によるものです。

宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

日本聖書協会 新共同訳 新約聖書 ヨハネによる福音書3章16-17節

 

I

今の皆さんはどれくらい自分の生活に満足しているでしょうか。一昔前に「リア充」という言葉がありました。現実の生活が充実していること、趣味や仕事、恋愛などの人間関係が充実している状態に使った言葉だったと記憶しています。皆さんの今はどうですか。何かがうまくいったり、欲しいものが手に入ったり、目標が叶えられたりすれば当然満足度は上がるでしょう。リア充するでしょう。しかし、現実にはなかなかうまくいかないこともあるし、人間関係において傷つくこともあるし、目標としていたことが叶えられないことも起こるのがわたしたちの人生なのだと思います。そういう意味においては、今の生活に100%満足していると言える人は少ないのかもしれません。
けれども、わたしたちはそれぞれ自分の生活が今より充実するように願っています。満足度を上げたいと願っています。達成感や充実感を感じるときが来るように願っています。だからこそ、色々な面において努力します。頑張ります。何かを乗り越えるために必要なことだからです。生徒の皆さんにとって勉強するということは、あまり好きなことではない場合が多いでしょう。でも、勉強しますね。それが自分の将来に役立つことを、そして自分が大人になるためには必要なことであることを知っているからです。部活動でも同じです。理不尽なことも数限りなくあるだろうと想像します。でも、我慢しますね。そのことが、目標をかなえるために求められていることを知っているからです。それがやがて達成感や満足感や充実感を与えてくれることを信じているからです。もし結果が伴わなかったとしても、一生懸命になれた時間がかけがえのないものであることをわたしたちは知っているのです。そして、知って欲しいのです。

イエス誕生の出来事に際しても、一生懸命になった人たちがいます。精一杯に自分の役割を果たした人たちがいるのです。一番はマリアとヨセフのカップルでしょう。神の子イエスを妊娠し出産するマリアは、そして、生まれてくる子の父親になるヨセフは、住民登録のためにガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。ベツレヘムに着いても宿屋には泊まる場所がなかったとあります。何とか身を寄せるところを見つけて出産をせざるを得ない状況でした。二人は「どうしてこんな目に遭うのだ」と理不尽さを感じたでしょう。でも、一生懸命にイエスの母として父としての役目を果たし、イエスをこの世に誕生させました。
羊飼いたちにしても、占星術の学者たちにしてもそうです。羊飼いたちは野宿しながら夜通し羊の番をしていたある夜、天使からの知らせを受けます。《「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」》と告げられるのです。そして、羊たちをおそらくほったらかしにしてベツレヘムまで急ぐのです。また、占星術の学者たちにしても、遠い東の国からはるばる旅をしてきて、イエスに黄金、乳香、没薬を献げます。「どうして自分たちがこんなことをしなければならないのだ」と考えたとしたら到底できなかった仕事です。自分たちに求められていること、そう行動することが神さまの願っていることなのだと考え信じたからこそできたのだろうと思います。
加えて、生まれたばかりのイエスに出会ったことが彼らにとってとても嬉しい出来事になったことが聖書には記されています。ルカによる福音書では《その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた》と、マタイによる福音書では《東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた》とあります。理不尽な状況におかれているマリアとヨセフにとっても、イエス誕生を一緒に喜び祝ってくれる人がいるということに励まされたでしょう。羊飼いや学者が自分たちの元を訪ねてきてくれたことは大変嬉しかっただろうと思います。とても勇気づけられただろうと思います。

わたしはその出来事が起こったのが夜であったということの意味を思わせられます。クリスマスとは夜の出来事だったということです。言うまでもないことですが、夜とは暗い時間です。闇が支配する時間です。お化け屋敷や肝試しは明るい時間にやっても、全くスリルがありません。暗い闇があって、暗さの中にお化けが配置されてこそ楽しめるものですよね。あるいは、修学旅行に行って沖縄のガマに入ったことのある皆さんはわかるでしょうか。懐中電灯を消したら真っ暗になりますよね。こんな暗い中に人々が息を潜めていたのかとその苦しい状況を思います。暗いということはわたしたちを不安にするのです。暗いから見えません。鳥目でなくても、暗闇の中ではわたしたちの視覚が働かないのです。夜とはわたしたちが一番頼りにしている視覚が機能できない時間なのです。そんなときにイエス誕生の出来事が起こっていることにわたしはクリスマスの意味を強く思わせられるのです。
と言いますのは、2000年前のユダヤを覆っていたものも明るさではなく暗さだったと想像するからです。「パクス・ロマーナ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「ローマの平和」と言われています。この時代の地中海世界はローマ帝国に支配されておりました。「平和」とは名ばかりで、身分制度社会の中で身分の低い奴隷や下層民は過酷な労働を強いられ、周辺地域の人々は厳しい税金の取り立てに苦しんでいたようです。その時代自体が暗い闇だったわけです。「その日を生きられればいい」「何ともならない」「何をやっても無駄」と人々が考えざるを得ない時代だったのです。夜のような時代だったのです。
けれども、クリスマスとは、暗い闇の中一筋の光を与える出来事として起こったのだと思います。マリアもヨセフも、羊飼いたちも占星術の学者たちも、たとえどんなに暗い闇の中にあったとしても、一筋の光を得た出来事だったと感じたのではないかと思います。達成感や満足感や充実感を与えてくれる出来事になったのではないかと思います。理不尽さや大変さを乗り越えて、達成感や満足感や充実感を感じることができたと思うのです。イエスの誕生を心から喜び、イエスに出会えて良かったと一生思える出来事になったのではないかと思います。

その出来事の中心にあるものが、神の愛であるとわたしは考えています。神がわたしたち人間を愛するが故に、この出来事が起こったのだと思います。暗い闇の状況を変化させられるのは光しかありません。神は光を暗い闇の中に投入したのです。愛ある故に、この世の光なるイエスは一人の人間の赤ちゃんとして生まれてきます。マリアやヨセフ、羊飼いたちや学者たちに達成感や満足感や充実感を与えてくれる存在の誕生です。そして、「イエスがこの世界に生まれて良かった」「イエスは暗闇の中の光だ」と感じる人たちの思いがあって、2000年もの間クリスマスが絶えることなく祝われ続けているのです。
ヨハネによる福音書は《神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。》と語っています。わたしたち人間を救う希望として、光としてイエスがこの世にやって来たことを語っているのです。何故なら、神がわたしたち人間を愛しているからです。わたしたちは希望なしに生きていくことも、愛なしに生きていくことも困難です。希望があるから前へ進めます。愛あるからこそ支えられ励まされます。そのような神からの愛に照らされて、わたしたちの人生は前へと進んでいくのです。達成感や満足感や充実感を感じられるその瞬間を待ちながら、それぞれが課題を乗り越えて成長していけるのです。
今日、他人に優しくすることが難しい、不寛容で不機嫌な時代を迎えているのかもしれません。隣人にすら愛を伝えることが難しい、自己中心的な時代を迎えているのかもしれません。ドナルド・トランプがアメリカの次の大統領になってしまうことに代表されるように、これは世界的傾向のような気がします。暗い闇が支配する夜のような世界が展開されてしまうのかと危惧を抱かざるを得ない気がします。しかし、だからといってわたしたちまでが不寛容で不機嫌になってしまいたくはないのです。暗い闇の中に一筋の光として生まれてきたイエスの姿に可能性を見いだしたいのです。その独り子をこの世界に送ってくれた神の姿に希望を見いだしたいのです。明けない夜はないのです。必ず朝が来るのです。わたしたちはたとえかすかだとしても、その一筋の光に照らされて、愛あるお互いの関係を築いていきたいと願います。

今年も生徒、教職員、そして市民会館に来場して下さった方々から献金が寄せられました。
献金とは、困っている人にお金をあげることではありません。
わたしたちが生きるこの世界が本当に豊かになるための行為です。
この世界にあって、虐げられている人々、困難に直面している人々、助けや支えを必要としている人々のところに献げられます。
手元の集計ですが、全体で40万円近くの献金が集まりました。
今年は以下の団体に送られます。
この趣旨に賛同し、献金を寄せて下さったたくさんの皆様に心から感謝申し上げます。

献金の送り先

  • アジア保健研修財団
  • アジア学院
  • チャイルド・ファンド
  • ワールド・ビジョン・ジャパン
  • 日本キリスト教協議会
  • 山谷兄弟の家伝道所(まりや食堂)
  • アイヌ民族情報センター
  • 日本聾話学校
  • 日本聖書協会
  • 国際ギデオン協会
  • 農村伝道神学校
  • 光の子どもの家
  • あおもりいのちの電話
  • 牧ノ原やまばと学園

献金感謝のお祈り

天の父なる神さま、この一年観の歩みが守られて、このクリスマス礼拝に聖愛に連なる兄弟姉妹たちと共に集まることができましたことを感謝します。
今日、主イエス・キリストが地上に下り、他人(ひと)を愛することを説きました。どうか私たちもキリストにならい、自らを大切にするだけでなく、弱い立場にいる人々を愛し慈しむことができますように。
今朝は私たちのお小遣いの中から献金しました。クリスマスの特別な日に、この献金を他の人々のために用いることができることを感謝します。
これらの感謝と願いを主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げします。アーメン。

(3-G 長峰 萌)

聖書朗読者

私は6年間、ずっとクリスマス礼拝を見てきましたが、高校3年生になって、ステージに立ち、このように朗読をやっている自分が何だか不思議でした。
貴重な体験をすることができたことをうれしく思います。

(3-E 熊谷 瑞穂)

羊飼い

去年は自分がこんな羊飼いの役をやるなんて思っていませんでした。
みんなでクリスマスの劇をやっていくのは楽しいし、協力していくことが大事だと思いました。
聖愛の伝統を私が受け継ぐことができて嬉しいです。

(3-C 高田 愛)

学者

博士をやってみてみんなの前で歌うのはとても緊張しました。
でもそこで歌うのが博士だと思います。

(3-B 須藤 海斗)

天使

私は1年生の頃のクリスマス礼拝で先輩方の役者、朗読者を見て3年生になったらやりたいと思っていました。
その思いが叶い天使の役をすることができました。
本番はとても緊張しましたが頑張ることができました。
3年生で最後のクリスマス礼拝で思い出をつくることができてとても嬉しいです。

(3-F 葛西 藍利)

オブリガート

音楽部、朗読と仕事がたくさんあり、とても充実した時間を過ごすことができました。
3年間の集大成をこのようなかたちで終えることができ、本当にうれしいです。
とても楽しい時間をありがとうございました。

(3-E 八木澤 梨奈)

司会者

中学校の頃から6年間、クリスマス礼拝を行ってきて、
最後のクリスマス礼拝は司会者を務めさせていただきました。
毎年とは違う目線でクリスマス礼拝をやり、とても良い経験をさせてもらいました。
最高のクリスマス礼拝でした。

(3-F 岩田 仰生)

マリア

私にマリアをやるチャンスを与えてくれて本当に嬉しいです。
クリスマス礼拝はほんとにいいことだと思います。

(3-E バリオス・キャラ)

ヨセフ

私はヨセフという男役で、不安はありましたが、無事にやりとげたので良かったです。
いい経験ができたと思います。来年こそはヨセフ役をぜひ男子がやってくれたらいいと思います。

(3-E 神 穂乃夏)

奏楽担当―♪さやかに星はきらめき

「クリスマス礼拝を振り返って」
今まで吹奏楽部としてオーケストラピットで演奏していましたが、今年は更に「さやかに星はきらめき」の奏楽もさせて頂きました。
大勢の前で緊張しましたが、しっかり弾く事が出来て、良い曲になったのではないかと思います。
本当にありがとうございました。

(3-D 石岡 果歩)

ハンドベル―♪高校3年生音楽選択クラス

最初はタイミングも合わず、曲には聞こえないものでしたが、最後は素晴らしい演奏になり、良い思い出になりました。

(3-C 秋元 俊介)

初めてハンドベルに挑戦してみて、自分が振り間違えないのは大切だが、仲間と力を合わせて演奏する事が重要なんだと判りました。

(3-C 福士 貴之)

「ハンドベル初挑戦」
普段は吹奏楽部としてオーケストラピットに居たのですが、今回は高校3年選択音楽クラスのハンドベルとしての活動もあり、少し忙しかったです。
普段やってきた事を生かして、すばらしい音色をひびかせられたのではないかと思っています。

(3-C 齋藤 華恋)

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