最初のクリスマス

宗教主任 安達 正希

〜聖書の言葉〜

わたしは神が宣言なさるのを聞きます。
主は平和を宣言されます
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に
彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
主を畏れる人に救いは近く
栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。
慈しみとまことは出会い
正義と平和は口づけし
まことは地から萌えいで
正義は天から注がれます。
主は必ず良いものをお与えになり
わたしたちの地は実りをもたらします。
正義は御前を行き
主の進まれる道を備えます。

日本聖書協会『新共同訳 旧約聖書』詩編85編9-14節

(Ⅰ)2011年のクリスマス 〜今年の私たちの心〜

昨年のクリスマス礼拝から一年が経ちました。今年もこうして皆さんと共にクリスマス礼拝の時を持つことが出来ました。とても嬉しい事なのだと思います。ベツレヘムという小さな町で起こった出来事、暗闇の中、馬小屋の飼い葉桶に寝かされたイエス・キリストのご降誕を祝うクリスマス、それは一年に一回やってきます。当然のことなのかもしれません。

けれども、2011年という一年を振り返ると、今年は、特別なことを感じる一年であったと、多くの人が感じているのではないでしょうか。3月に東日本大震災が起こりました。この悲しく、辛くなることを通して、「今という時の大切さ」や「感謝」の思いを持ったり、考えることも多かったのだと思います。

しかし、時が経つと、その思いはやがてうすれていきます。あるいは、実際は全く逆のことを思っている自分がいる、自分をじっと見つめると、そのことに、私たちは気づきます。

そう考えると、新約聖書で、パウロという人が、次のことを書いたのがよく分かります。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」、と。

喜んだり、他者のことを祈ったり、感謝できない人間の心、そういったものを私たちの誰もが抱えています。大げさに聞こえるかもしれませんが、だれでも闇を抱えている、と言えます。そして、その人間が集まることによってできる「社会」、「人間の世界」と言って良いかと思いますが、それらがどのようなものであるか、それは明らかです。

(Ⅱ)聖書と私たちの世界 〜昔も今も変わらないもの〜

ノーベル平和賞を受賞した人で、マザーテレサという人がいます。カトリックのシスターでした。インドのカルカッタを中心に、貧困に苦しむ人達のために活動され、1997年に天に召されました。そのマザーテレサは、次の言葉を残しました。知っている人もいるかもしれません。話の中の一文だけを引用します。「愛の反対は無関心」、と。

「自分さえ良ければ」、といった昔も今も変わらない人間の心、「無関心におおわれている社会」、この世界に、主イエスは来られたのです。しかも、通常の誕生では考えられないようなみすぼらしく、貧しく、質素な所で、主イエスは生まれました。

(Ⅲ)クリスマスを告げられた人(1)羊飼い 〜神さまからのプレゼント〜

 「主イエスの誕生」という出来事を、最初に知らされたのは、「羊飼い」でした。

羊飼いは、今と異なり、当時、身分の低い者、とされていたのです。定まった土地に住むことはありませんでした。そのため財産を持てませんでした。したがって、野原で羊と共に生活をし、野宿をする、ですから、とてもきつい仕事であったと思われます。

それゆえ、羊飼いは、社会では関心を持たれませんでした。

しかし、神様は、社会とは異なる目で人間をご覧になるのです。羊飼いに関心を持たれたのです。先ほど読んだ旧約聖書には「平和」という単語が記されていました。ここでの「平和」、それは「戦争のない状態」だけを指すのではありません。「関心を持つ」「心に留める」ということです。考えてみたら「相手のことを心に留めない」上での平和は、ありえません。

神様は、社会であまりかえりみられなかった羊飼いに関心を持たれ、心に留めた、それほど、人間一人一人を大切にされたのです。

大切な人に、皆さんはプレゼントを贈りたいと思うのではないでしょうか。

神様は、大切な、全ての人間に、やはりプレゼントをされました。

そのプレゼントは、無関心の支配する社会に、「だれもが大切な存在なのだ」とのメッセージを伝えました。

そのプレゼントは、「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」と人々に伝えました。

そのプレゼントは、生涯を通して、私たちに、闇の中であっても「あなたはどのように歩むのか」を伝えようとしました。


そのプレゼントであるイエス・キリストの誕生、それが、「最初のクリスマス」です。

(Ⅳ)クリスマスを告げられた人(2)学者たち 〜関心を持つ〜

羊飼いの次に、「クリスマス」を知らされたのは、「東方の占星術の学者たち」でした。「学者たち」、社会では「羊飼い」とは反対の立場だったと思われます。

その学者たちは、ベツレヘムで起こった小さな出来事に、やはり「関心」持ちました。そのため、遠くの外国から、はるばるやって来るのです。何がどうなるか分からない状況であってもです。もしも、「関係ない」と思うのであれば、わざわざやって来る、そのようなことしなかったはずです。

ですから、学者たちはまるでつなひきで「つな」を引き寄せるように、クリスマスの出来事を引き寄せ、関心を持ったのです。

(Ⅴ)最初のクリスマスを迎える 〜「昔」の出来事を心に留めて「これから」を歩む〜

一年に一回やって来るクリスマス、そして、毎年読まれる聖書の箇所、そして、赤ちゃんイエス様の所にやってきた羊飼いや学者たちの聖書を読む時、私は思います。

私たちに必要なのは、昔起こった「最初のクリスマスを思い出すことではないか」、と。「神様からのプレゼントに関心を持つこと」、これが必要なのではないか、と。

2000年前の古い古い出来事に心を向ける時、とても不思議なことに、これからの道が見えてきます。

あと約一週間で2011年が終わります。そして、新しい年、2012年が始まります。「終わりは始まり」です。「これから」の一年、私たちは、どう歩むのでしょうか。「無関心」「自分さえよければ」がいつの時代にもあります。神様からのプレゼントは、そのような中にあって、私たちに何を求めているのでしょうか。

間もなく、全員で「さやかに星はきらめき」を歌います。今では有名なクリスマスの讃美歌です。この讃美歌、弘前学院聖愛中学高等学校では、日本でまだあまり知られていなかった頃からすでに歌い、ずっと大切にしてきました。

この讃美歌、一番、二番に続き、三番にはこう書かれています。

「『たがいに愛せよ』と説き、平和の道を教え」、とクリスマスに生まれたイエス・キリストのことを伝えています。

このクリスマスの時、私たちは馬小屋で起こった最初の出来事を思い起こしたいと思うのです。闇を抱える心に、昔の出来事を迎え入れたいと思うのです。そして、弱さを抱える私たちに神さまは関心を持たれ、一人一人を大切にされたように、私たちも隣人のこと、自分の知らない誰かのことを心に留めて、これから歩みたいと思います。 お祈りします。



弘前学院聖愛中学高等学校 http://www.seiai.ed.jp/