宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。
陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。

日本聖書協会『新共同訳 旧約聖書』 ヨナ書2章3節

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わたしたちには、多くの場合、得意なことと不得意なことがあります。何でもそつなくこなせるというのは理想の姿なのですけれど、なかなかそういう人はいないようです。生徒の皆さんも「勉強が不得意だ」「勉強が嫌い」と思っている人はたくさんいるでしょう。不得意だからやりたくない。だから後回しにする。そして、その結果わたしたち教師に叱られるはめになる人も何人かいるわけです。でも、やりたくない、不得意だといってもやらないで済ませるわけにいかない。このことを知っている皆さんは、しぶしぶながら、嫌々ながらでも何とか頑張っているのだと思います。

今日の聖書はヨナ書という文書の一部分です。この中に登場するヨナという預言者もまたやりたくないことから一度は逃げようとした人です。神さまがヨナに「ニネベの町は滅びる」と言いなさい、伝えに行きなさいと命じます。が、ヨナはニネベへ行かないで別な場所へ向かおうとします。おそらく、ニネベに行って神の言葉を伝えるのは荷が重いと考えたのでしょう。めんどくさい。やりたくない。得意じゃない。そう思ったのでしょう。自分じゃなくとも他の人にやってもらえばいい。だから、逃げたのだろうと思います。

けれども、神はこの役目をどうしてもヨナにやって欲しいと考えたようです。神はあくまでもヨナ自身の口で「ニネベの町は滅びる」との預言を語らせようとするのです。

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このことは、世の中をうまく渡っていけるからとか得意なことがたくさんあるとか能力があるからヨナが選ばれたのではないということを意味しているのかもしれません。たとえ、不得意なことがたくさんあったとしても、このことはヨナにまかせる。神はヨナでなければならないと判断したのです。たとえ、心から望んで喜んでやるということではないにしてもそれでもヨナこそが適役だとして選ぶのです。神は、あきらめずに、それこそしつこいくらいにヨナに頼むのです。頼んだ以上はヨナにやってもらう。やってくれるのを待つ。やってくれるようにしむける。神のヨナに対する姿勢はそういうものでした。

振り返ってみると、わたしたちの毎日もヨナと同じようなところがたくさんあります。望まないけれどやらなければならないことがある。得意じゃないのにやらなければならないこともある。誰かが代わってくれればいいのにと考えることもあるでしょう。しかし、たとえそうであったとしても、神さまはわたしたち一人一人にそれぞれの役目を与えて果たさせようとしているのではないでしょうか。神はわたしたちにこれまでもこれからも働きかけているのではないでしょうか。

神さまの働きかけに対して、わたしたちは「できない」とか「無理です」と答えたくないと思うのです。得意ではなくても、不得意なことであったとしても、わたしたちにできることはたくさんあります。わたしたちにはたくさんのものが与えられているはずです。まず、そのことに気づきたいと思います。