宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

わたしは主、あなたの神
イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。
わたしはエジプトをあなたの身代金とし
クシュとセバをあなたの代償とする。

旧約聖書 イザヤ書43章3節

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皆さんは理想の社会とはどんなものだと思いますか。わたしは人が他人を信頼できるというのが一番理想なのではないかと思うことがあります。人と人とがお互いに信じ合い、愛し合い、尊重し合えるならどんなに素晴らしいだろうかと考えることがあります。けれども、この社会はそのような理想から遠いところにあるのだということをも思うのです。毎日のようにニュースになるのは、人と人とが信頼し合えずに傷つけ合うものです。どちらかがどちらかを殺してしまったりだましたりする悲しい出来事です。あるいは、絶対的なものだ、信じるに値すべきことだと思っていた事柄が裏切られてしまうような出来事です。わたしたち同士の小さな関係においても同じです。「こうありたい」という理想があるはずなのに、なかなかそうはできない自分がいます。他人を信じ他者との信頼ある関係を築きたいと考えながらも、偽ってしまったり、疑ってしまったりして信じることができない自分がいます。それどころかひどい場合には自分自身でさえも自分で信じることができなくなってしまうこともあります。

でも、理想を、夢を、希望を忘れてしまいたくはないと思います。「こうありたい」「こうしたい」自分を持ち続けていたいと考えるのです。それは、わたしが自分自身を自分で信じるためでもあるけれど、同時に、他者との信頼し合える関係を築いていくためでもあると思っています。そして、そのような関係とはお互いにお互いを思いやることのできる関係のことです。自分がさびしいから、一人でいるのが辛いから誰かとつるんでいるのではなくてです。

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聖書においても、人と人とが信じ合えず悲しむべきような出来事を起こしていく物語はたくさんあります。旧約聖書の一番最初の創世記ひとつをとってみても、エデンの園を追い出されていくアダムとエバの物語、カインとアベルの兄弟間での殺人事件、ノアの洪水、アブラハム物語、ヨセフの物語。これら様々な場面に出てくると思います。イスラエル民族の歴史を考えてみても同じだと思います。聖書の中にも「こうありたい」「こうしたい」と考えながらもそうはできなかった人間たちの物語があります。「こうすべきではない」と考えながらもそうしてしまった人間たちの物語があります。でも、だからといって人間なんてそんなものだとあきらめるのは早すぎます。

というのは、聖書には一番の信頼ある関係が描き出されているからです。それは、神と人との関係です。偽ってしまったり、疑ってしまったりして信じることができないわたしたち人間を神は信じている。それが聖書の伝える大切なメッセージです。神はわたしたち人間に「信じなさい」といつも語りかけて下さっているのだと思います。今日読みましたイザヤ書も語っています。どんなときでもあなたたちと共にいる、と。わたしたちはとてもかけがえなく、それこそ値段なんかつかないくらい大事な存在なのだ、と。だからこそ、愛し支えるし、思いやるし、信じているのだ、と。その語りかけに耳を傾けたいと思います。そして、わたしたち同士の小さな関係においても、丁寧に、思いやりをこめた信頼できる関係を築いていきたいと願います。