宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

新約聖書 ヨハネの手紙 1 4章7節

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2月14日は何の日でしたか。この学校では高校の入学試験が行われました。でも、そんなの皆さんには関係ないですよね。バレンタインディと呼ばれる日でした。日本全国でたくさんのチョコレートが行き交っただろうと思います。このバレンタインディなる日、一体何に由来しているのかということですが、バレンタイン(バレンティヌス)という一人の男性に由来しているようです。この人は昔々ローマ帝国の時代の生きていた人で、修道士でした。修道院で過ごしているときに、多くの人々に愛の言葉を書いた手紙を送る働きを続けていたのだそうです。

他の修道士たちが修道院で色々なことをしている中、彼は何一つ上手にすることができませんでした。ある修道士は、美しい声で歌を歌う。ある修道士は上手に絵を描く。また、ある修道士は聖書をきれいな字で書き写す。ところがバレンタインにはそういう力や能力がなかったのです。そして、彼は嘆き悲しみました。「自分は神さまのために働きたいのに、何一つできない」と。

そんなとき、神さまの声が聞こえてきたというのです。「あなたにできることをしなさい」という声でした。そして、彼は自分にできることを見つけました。それは人々に手紙を書き送ることでした。悲しんでいる人、さびしい人、ひとりぼっちで孤独な生活を送っている人々に彼は手紙を送りました。「神さまはあなたのことを愛しています。元気を出して下さい」と。その働きはバレンタインが死ぬまで続けられました。彼が死んだ後、人々は大変悲しみました。そして、バレンタインの誕生日が来ると、彼のことを思い出し、彼の働きをおぼえて、お互いに愛の言葉を贈り合うようになった。バレンタインディの由来には諸説あるようですが、その内の一つは今お話ししたようなことだそうです。

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バレンタインがその手紙の中にこめたかったものは、モノをあげる・もらうということではないように思います。そして、わたしたちが誰かにプレゼントを渡すときに大事なことも、ただ単にモノを渡せばそれで良いということではないと思います。そこにこめられた気持ちが大事なんだと思うのです。誰かがプラダの財布をくれた。ティファニーのオープンハートをくれた。チョコレートをくれた。指輪をくれた。でも、本当に嬉しいのはそれにこめられた気持ちとか愛という見えないものなのだと思います。自分のことを思ってくれている。自分のことを考えてくれている。自分のことをおぼえていてくれる。そういうことが何にも代えがたい大切な贈り物なのではないでしょうか。

愛情とは、形あるモノに代えなくても、そのままで貴いものです。モノだけで愛情の深さを測ることはできません。バレンタインの働きが喜ばれ、死んだ後も彼の働きを記念しお互いに交わそうとしたのは愛の言葉です。決してモノではありません。プレゼントを贈るとき、わたしたちが考えなければならないのはそこのところなのだとわたしは思います。そしてまた、わたしが愛されているように、わたしもまわりの人を愛する。愛されることだけを求めるのではなく、愛することをもわたしたちは果たしていかなけばならないのではないかと考えています。