教諭 三上千秋

聖書の言葉

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

新約聖書 ヨハネによる福音書15章1~5節

最近いらいらしている人が増えているような気がします。皆さんはどうですか?

養老孟司さんは『超バカの壁』の中で、「…イライラしている場合は、自分の問題に戻さないで、完全に人のせいにしているのが原因だ。人のせいにする傾向は都会の方が強い。都会にはほとんど人の作ったものが置かれているので、何か不愉快なことが起これば他人のせいだと考えがちだ。加えて、合理的なものや論理的なものが過剰に重視され、「ああすればこうなる」式の考え方をしていると、自分の思った通りに物事が進まない時、イライラする。」と書いています。さらに、人間が対自然の世界をなくしてしまったとも述べています。以前人間には、対自然と対人間の2つの世界があり、人間関係に疲れたり、対人間世界が嫌ならば自然の方に逃げるという手がありました。例えば勉強がダメだったり、運動ができなかったりしても、魚取りに行ったり、虫取りが得意だったりした。しかし、今はそういう世界が半分に、つまり対人間世界だけになってしまった、と。あるいじめられたことのある女性の書いたものを見ると、こんなことをされたとか、こんな嫌なことがあったとは書かれているのに、天気や花、季節の話が出てこない。自然に目を向けることがないのだそうです。

いじめは対人間世界のマイナス面、台風や洪水は対自然世界のマイナス面です。誰かにほめられるのは対人間世界のプラス面。晴れた日の青空やきれいな花などは対自然世界のプラス面です。このように、人間には4つの世界、対人間と対自然、そしてそれぞれにプラスとマイナス面がありました。しかし、現在では対人間世界だけになってしまいました。

今日の聖書には「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と書かれています。これは私たちの生き方を示していると思います。何を中心にして生きるか、誰に頼って生きるかを示していると思います。毎日の生活の中で、どうすればいいのか分からない時、人間関係に疲れてしまった時、私たちは聖愛高校が120年間そうしてきたように、神様を信じて、神様につながって生きたいと思います。

去年の冬は雪が多くて、本当にこの雪は無くなるのだろうか、本当に春が来るのだろうか、と思いました。でも、木蓮の花が咲き、福寿草や水仙やチューリップなどが一斉に咲き始めました。特に北国では、たくさんの花が春を待ちわびていたように一斉に咲き出します。そして、今年もきれいなさくらが咲きました。学校に入ると、藤の花やツツジがきれいに咲いています。皆さんは気づいていますか?

神様がつくって下さった美しい自然の中で私たちは生きています。人間にはとうてい作ることができないと思える木々や花々を、神様がつくって下さいました。登校途中、携帯電話をしたり、ウォークマンで音楽を聞いたりして自転車をこいでいる皆さんをよく見かけます。でも、時には周りの自然に目を向けてみませんか?人間を超えた大きな力、神様の存在を感じることができるかも知れません。