講師 松村 枝美

聖書の言葉

偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側はどん欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。

新約聖書 マタイによる福音書7章15-20節

よく「流行や歴史は繰り返す」ということが言われますが、本当にそうだと思います。人間の持つ性(さが)というのでしょうか人間が考え志向してゆくことに、いつの時代でもそんなに大きな変化はないように思えてなりません。イエスの生きていた時代もまた、私たちが今こうして在る21世紀の時と同じでした。政治的にも経済的にも思想的にも様々な人がいて…様々な宗教があって… 一体、正しいのは何で、何がそうでないのか…難しい時代でした。

人の思いはいろいろなことが有機的に絡み合っていて、一口で善、悪、YesとかNoとか答えられないことがたくさんあります。そういう時にはっきりと単純に決めるのに、「自分がよしとして行っていること、あるいは信じていることが、他人を困らせ、泣かせてはいないか」ということから判断して見るのもひとつの方法かと思います。今日はみなさんに是非とも心してほしいことを申したいと思います。

私たちはこの聖愛高校に入学して以来、毎朝礼拝をもって一日を始めてきました。聖書という科目の授業もあります。自分がどれほど身を入れて関わっているかは別としても、ともかくキリスト教というものに触れ続けてきました。でも卒業したら、今のように毎日キリスト教に触れる人はそんなに多くはないと思います。そして今はそれほど好きでなくても、妙にキリスト教に懐かしさを覚えることもあろうかと思います。殊にクリスマスなどにはひとつの郷愁めいた感情がよみがえってくる…。

そんな時、聖愛時代には強く思わなかったのに街中(まちなか)でふと「あなたはキリスト教をどう思いますか?」といったたぐいの言葉がけをする人がいて「一緒に聖書を学ぶ会に参加しませんか」とか、唐突に「あなたは今、幸せですか?」とたずねられたりすると、ついついていってみたくなる…。または外国の人が「英会話を覚えながらキリスト教を勉強しましょう」とか、様々な思想団体、宗教団体が”キリスト教”という名を使用したりしている…。そして人員を増やすため、呼びこもうとすることがあるのです。

懐かしいという単純な思いからついてゆく…。ある宗教団体では一緒にビデオで旧約聖書の学びをする。教会や学校で習った内容や解釈とは違うとここで気がついた人はいいのですが、取り込まれて仲間の一人とされたり、今までに見たビデオの代金だと法外に高い請求書を渡され、布教活動として物売りをさせられ、他人を壷や宝石の展示会に執拗に誘うようになり、結婚もまた合同結婚式と称して強制させられたり…。

それでもその中で自分が生き甲斐を見つけ楽しく幸せであるということだけならばいいけれど、今度は他人を誘い込むことにノルマが課せられるのです。

宗教というものはのめり込むと本当にやっかいで怖いものだという認識を持ってほしいのです。そういった中から脱け出す苦労は大変です。今もそういう人が何人もいて相談にのっていますが、どの人も同じように「どうしてこんな単純な、人に迷惑を掛けるカラクリがわからなかったのだろうか。せめて高校生の頃にそういうのにひっかかるなということを教えてもらっていたら…。」というのです。

イエスはいっています。「偽預言者を警戒せよ」と。キリスト教なら何でも同じというわけではないのです。どうか聖愛で受けたキリスト教から判断してうさんくさいと思ったら決して心を許さず、良識を持って考えてください。そして勇気を持ってはねつけてほしいのです。銀行員が偽札を見分けるには何の訓練もいらないそうです。本物にいつもしっかりと触れていると手触りですぐ直感できるそうです。ねがわくは皆様方も……。と心から願うものです。