宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

新約聖書 マタイによる福音書5章10節

I

5月3日は「憲法記念日」という祝日でした。休みでうれしかった人、部活や補習で休めなかった人、様々かもしれません。今日は、この「憲法記念日」にちなんで「日本国憲法」について少し考えてみたいと思います。「日本国憲法」は日本が第2次世界大戦に負け、しばらく経った1947年の5月3日に生まれました。国民主権・人権尊重・平和主義という3本の柱に基づいていると言われています。そして日本の法律は全てこの憲法に基づいているのです。
しかし、この頃「日本国憲法」を改定しようとさかんに言っている人々がいます。知っていますでしょうか?「日本国憲法」は現在の日本に合わないから、変えてしまえばいいんだというのです。そう考えている人の多くは憲法第9条について特にそう考えているようです。
憲法9条というのは「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書いてあるところです。ここのところを変えてしまえばいいと言うのです。

II

でも、考えてみて下さい。戦争をしないということはこういうことなのではないでしょうか。自分の住む町に爆弾が降ってくることはない。銃を持ってどこかの国へ行かなくてもいい。もっと言えば、他人から殺されたり、他人を殺したりしなくてもいい。こういうことが「戦争の放棄」なのだと思うのです。ここのところを変えてしまうということはどういうことでしょうか。もしかしたら、自分の住んでいるところに爆弾が降ってくるかもしれない。もしかしたら、銃を持たされて無理矢理どこかの国へ行かされるかもしれない。そして、もしかしたら、誰かから殺されたり、誰かを殺さなければならないかもしれないということだと思うのです。
わたしはそんなことをしたくないと思うのです。そして、わたしは生徒の皆さんにもそんなことになって欲しくないし、わたしの次の世代の人にもそういうことをしないで人生を送って欲しいと考えるのです。憲法を変えようと言っている人々は、自分では戦争に行かなくてもいい人たちです。自分は行かないけど、国民の誰かに銃を持ち、戦争をしてもらおうとしている人たちなのだと思います。
今、この世界は力の論理が支配する「やられたらやり返す」ことが当たり前になりつつあるように思います。しかし、「日本国憲法」の考え方、とりわけ第9条はその逆にある論理を示してくれていると思うのです。イエスは語ります。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と。憲法を考えてみることを通して、平和について思いを巡らしてみたいと思います。