宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

旧約聖書 イザヤ書46章3-4節

I

わたしにはたくさんの苦手なものがあります。子どもの頃は鉄棒の逆上がりでした。皆さんの年代の頃は数学が苦手でした。いずれもうまくできなかったから苦手だったのです。もちろんできるようになるためにそれなりの努力はしたつもりです。特に数学は落第するわけにはいかなかったので高校時代は必死になって頑張りました。でも、大人になってからは、人前で逆上がりをしなくても済むし、数学の問題を解かなくてもいいようになりました。すごく助かっています。その代わり今度は、考えてもわからないので苦手だと感じるものがあるようになりました。わたしには自分でどう考えてみてもわからないことがあるのです。そのことについて考えていないわけではないのです。何度も何度も考えてはいるのですが、未だにその答えが見つからないでいます。
わたしが考えてみてもわからないので苦手だとしているうちの一つが「自分は何故牧師になったのか」という問いです。「どうして自分は牧師になったのか」という問いを牧師になって9年間わたしはずっと考え続けてきました。昨日もまたそのことにふれる機会があって、この質問は苦手だなあと改めて意識させられた次第なのです。正直自分自身でもわからないのです。もちろん「どうして牧師になったの」という質問は9年間の間に何度も何度も様々な人々から投げかけられてきました。それに対してわたしは「これこれしかじかなわけで」と説明もしてきたように思います。しかし、言葉を尽くして説明しようとする度に、「何か違う」という気持ちになってしまっていたのです。ですから、このところは「教えられないな」とか「説明できません」とか「わからない」と言ってしまっているのです。
人生において何か劇的な出来事が起こったからとか、世を儚んで牧師しか道がないと思ったからとかそういうことではないことだけは確かです。気づいたら牧師になっていたし、それはそれでわたしに合っていたということなのだろうと考えています。そして、牧師になったからといって、なる以前と比べて飛躍的にすごい力が出たわけでもないし、相変わらずオバカな間違いを繰り返しながら生きていることを自分自身でも知っています。それに逆上がりも数学もできないままです。おそらくこれから先も他人にはできないようなすごいことができるわけでもなく、ただ自分の場所にいてわたしにできることをやっていくだろうと考えているのです。

II

そんなわたしなのですが、牧師になって良かったと思うことがあります。というのは、何かを信じることが難しいこの時代にあって信じられるものが確実に一つはあるということなのです。そして、そのことについて語り伝えることが自分の仕事であって生きる道になっているということなのです。今の時代、何かを信じることはとても難しいことのように思われます。様々な関係において、信じていたのに裏切られてしまうこと、信じてもらっていたのに裏切ってしまうことが起きます。「こんなはずではなかった」という失望を誰もが経験しているはずです。そんな中、自分自身でさえも自分で信じられなくなることもあるわけです。あるいは、自分に自信が持てず、不安やいらだちを感じてしまうこともあるわけです。「どうせ自分なんて」と考えてしまったり、あるいはそれすらも感じることなく生きてしまうこともあるわけです。そのために自分のことをゆるせなかったり、肯定できなかったり、愛せなかったりしてしまうのだろうと思います。
けれども、聖書が伝えるメッセージとはそんなわたしたちのことをゆるし肯定し愛そうとする神の姿です。信じられるものがなかなか見出せない時代の中にあって、「わたしを信じなさい」と語りかける神の姿です。神を知り信じたからといって人生において劇的な出来事が起こるわけでもなければ、飛躍的にすごい力が生まれるわけでもない。それでも、一つだけでも信じられるものがあり、その信じられるものは自分のことを認めていてくれているとするならば、それはそれですごいことだと思うのです。「何故牧師になったのか」という問いの答えを見つけられず、その問いに対して苦手意識しか感じないわたしも、信じられるものの働きかけに、自分のことを認めてくれるものの問いかけに自分なりに応えたいと考えているのです。
今日読みました聖書は、わたしのとても好きな箇所です。わたしにとっての信じられるものとは、わたしに対していつもこのように語りかけていて下さる存在なのです。その存在の働きを感じているからこそわたしはこの仕事をやり続けているのではないかと思うし、これからも続けていこうと思うのです。