宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。

旧約聖書 出エジプト記2章3節

I

『むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。ある日、おじいさんは山へ柴刈りにおばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。』これが何の話かすでにおわかりのことでしょう。桃太郎という昔話の出だしの部分です。ご存じの通り、桃太郎は成長し鬼ヶ島へ行って悪い鬼たちを征伐するという展開になっています。昔話の桃太郎とは鬼の征伐をした英雄です。
しかし、桃が川上から流れてきたとしても、おばあさんが気にもとめなかったとしたらその後はどうなっていたでしょうか。多分桃はそのまま川を流れていってしまったことでしょう。ということは、洗濯をしていた川から流れてきた桃を拾い上げ桃太郎を育てたおばあさんとおじいさんは桃太郎という昔話を生み出すためには欠かせない存在だったということになります。食べようと思って拾い上げたのか、何か他の理由があったのかおばあさんの心の内はわかりません。しかし、おばあさんの行為がなかったら、それから後の桃太郎の大活躍はあり得ないことだったことだけは確かなようです。

II

旧約聖書の中にも桃太郎によく似た話があります。エジプトで奴隷の生活をさせられていたイスラエル民族を救い出し、約束の土地へと導いたモーセという人のことです。彼もまた川から流れてきた桃太郎です。彼は幼いときにナイル川からパピルスの籠に入って流れてきたのをエジプトの王女に助け出されたのです。成長した桃太郎が鬼征伐をしたのと同じようにモーセは大人になってイスラエルの民を救い出す出エジプトという大事業を成し遂げました。もし彼の存在がなければ、その後の世界の歴史は変わっていたことでしょう。
では、何故モーセは川から流れてきたのを助けられたのでしょうか。考えてみるに、それは偶然の出来事です。王女がナイル川にちょうど良い具合に水浴びにやってきたから助けられたのです。桃太郎がおばあさんによって偶然拾い上げられた桃から生まれてきたのと同じように、モーセもエジプトの王女によって偶然助けられその後の人生が開けたということなのだと思うのです。

III

このことはわたしたちの場合も同じなのではないかと思うのです。わたしたちが困っていたり途方に暮れていたりするときに助けてくれる人は現れます。人生という川をわたしたちが流れていくとき、拾い上げ助けてくれる人は必ず登場するのではないかと思うのです。たまたま偶然といっても良いようなかたちでです。そして、それはわたしたちが何か特別なことができるからとか特殊な能力があるからおこるのではないと思うのです。桃太郎もモーセも大きくなってからはすごいことを成し遂げた英雄ですが、川を流れてきたときにはいたいけな子どもでした。たまたまタイミング良く川から拾い上げてくれる人に見出されたことが彼ら二人のチャンスとなり新しい展開が拓けていったのだと思うのです。
もし今困っている人や途方に暮れている人がいるなら、その人は川を流れているということなのでしょう。いや、誰でもみんなそうなのだろうと思います。いつか自分を拾い上げてくれる人は現れるはずです。常に自分自身で何とかしないといけないと思いこむだけではなく、素直に誰かに拾い上げられてみるのも一つの方法だと思います。その先にも道はあるし、そのことから、かえって新しい可能性が拓けたりすることもあると考えるからです。