宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

新約聖書 使徒言行録9章18,19節

I

目からうろこが落ちるというのは、あることをきっかけにしてして急に物事の真相や本質がわかるようになることを言うのだそうです。これは、聖書から生まれた言葉です。新約聖書、使徒言行録によれば、あるときパウロという人が不思議な経験をするのです。彼はダマスコという町に向かっていました。町に近づいたとき、彼は突然雷に打たれるような経験をするのです。
このときのことを彼は後にイエスに出会った出来事だと書いています。とにかく彼はそのことによって目が見えなくなって、人々から手を引かれてダマスコまで連れて行かれたのでした。そして、彼はキリスト教徒のアナニアという人に出会います。アナニアはパウロに対して親しく呼びかけ彼のために祈りました。すると、目からうろこのようなものが落ちてきて、パウロは元どおり目が見えるようになったと聖書は記しています。
パウロの場合、ダマスコという町に行く途中でイエスと出会い、目が見えなくなってしまう。見えなくなった目からうろこを落としてくれたのはアナニアという人だったということです。それも、ダマスコに住んでいたアナニアがたまたまのようなことでパウロに会い、そのきっかけを与えたことになったわけです。

II

もしかすると、今現在わたしたちのまわりにいるたくさんの人々の中にわたしたちの目からうろこを落としてくれるようなそんな存在がいるのかもしれません。あるいは、これから出会うであろうたくさんの人々の中にもそんな存在がいるのかもしれません。そして、ふとしたきっかけで、たまたまのようなことで、わたしたちの目のうろこを落としてくれるのかもしれないと思うのです。そのことによって、わたしたち自身が変えられていくことがあるのかもしれないと考えるのです。
わたしたちは今多くの事柄を知らないままで済ませています。もっと知らなければならいことはたくさんあるでしょうし、もっと考えなければならないこともたくさんあるはずです。まだまだ、物事の真相を見極めてはいません。言うなれば、目にうろこがついたままでいるのだと思うのです。自分の目にあるうろこに気がつかないでいるのかもしれません。
新しい一年がはじまろうとしています。何がきっかけになるかはわかりません。でも、この一年間には目からうろこが落ちるようなことが散りばめられているはずです。きっと何かがきっかけになって、わたしたちの目からうろこが落ちるようなことを経験するのだと思います。そう信じて誠実に人や物事と出会いながら歩みたいと願います。