宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

主なる神は言われた。「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう。」

旧約聖書 創世記 2章18節

I

わたしたち人間は、誰でも助け合わないと生きていけない存在です。そのことは、経験的にみんなが知っていることです。それぞれこれまで生きてきた中で、様々な人たちからの助けをもらって生きてきました。そして、様々な人たちを、たとえささやかなものであったとしても助けてきたのだと思います。これはお互いさまの関係です。気づいているにせよ、気づいていないにせよ、お互いに助けたり助けられたりしているのだと思います。
もし自分が誰からも助けてもらえないとしたなら、わたしたちはつらくて厳しくて生きるのがとても困難に感じられてしまうことでしょう。逆に、自分が誰をも助けることが出来ないとしたなら、それもつらくて厳しい世界だろうと思います。もちろん出来ることなんて限られていて、能力も限られていて、思い通りになんてできない中で生きているのがわたしたちです。けれども、自分にできることを何とかやろうとすること、そして困っている人や途方に暮れている人がいるとしたなら何とか助けようとすることはとても大事なことだと思います。

II

創世記2章には、「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう。」と書かれてあります。この場面はエデンの園での物語の一部分です。神は人がひとりではないようにと「助ける者」を造ろうとし、造ったわけです。このことは、人間が様々な関係の中で、関わり合いのあるところでこそ生きるものだと示していると考えられます。わたしたちそれぞれが他者とかかわって生きていくことが、神の望む人間の生き方なのだということです。
加えて、この「彼に合う助ける者」とは、どちらかがどちらかを一方的に助ける存在ではありません。原典のヘブライ語では「エゼル」という単語で、「連れ合い」とか「パートナー」という意味を持っています。もっと言えば、失っては途方に暮れるくらい大事な存在というような意味の言葉なのです。お互いに助けたり助けられたり、支えたり支えられたりの関係のことを表しているのです。誰かが誰かのことを一方的に助けることではなく、関わり合いの中で共に生きることを神が望んでおられるのだということを考えさせられます。自分ひとりで勝手に生きていくのではなく、お互いの関わり合いの中でこそ生きていける、そして、それこそが神の望む姿なのだと創世記の2章は語ります。

III

しかし、わたしたちの中には自分さえ良ければという考え方があります。ひとりで生きているようなつもりになって、自分だけの利益、自分だけの幸せを求めてしまっているところがあります。「自分さえ良ければ他の人なんてどうでもいい」とか「自分だけが大切で、他人なんて放っておけばいいんだ」という考え方です。仕方ないじゃないか、そうしないとこの競争社会の中では生きていけないんだからと考えるかも知れません。でも、みんなが自分のことしか考えない世の中はどんな世の中だろうと考えると、今よりもっともっと生きるのがつらい世の中だろうとわたしは想像するのです。少なくともわたしはそういう世の中を作りたくないと強く思います。
誰かが何かをやろうとすることを「関係ない」と言ってすませてしまいたくはないのです。今、頑張ろうとしている人を「勝手にやれば」と冷ややかな目で眺めてしまいたくはないのです。たとえ、どんなに小さな力だとしても自分ができることをやろうとする志を持っていたいと思うのです。助けたり助けられたり、支えたり支えられたりの関係の中で忘れてはいけないのはそういうことなのではないでしょうか。
自分の能力や力以上に大きなことは出来ません。限界はあります。でも、出来ることについてはやろうとしていたいのです。なぜなら、お互い、そうしていくことが、本当に支え合うことにつながると信じるからです。ひとりでは生きていけないのがわたしたちです。関わり合いの中で育てられていくのがわたしたちです。「関係ない」と言ってしまわずに、色々な事柄を自分なりに考えていきたいと思います。そして、自分にできる力を尽くそうとする心を持っていたいと願います。