宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章6節

I

二年前の調査ですが、全国の小中高生の約80パーセントがいらいら・むしゃくしゃしているとの結果が出ています。イマドキはやりの言葉で言うと「ムカツク」という状態のことです。不安を感じることがあるかという質問に対しては、約50パーセントの人が感じると答えています。皆さんの中にも「ムカツイ」たり、「キレそう」になったり、不安を感じたり、不平や不満を抱えている人がいるのだろうと思います。どうしてそうなのだろうと考えてしまいます。
それは、わたしをも含めた大人がそうだからなのかもしれません。大人の世界においても、不平や不満があふれています。わたしたちの生きるこの社会が何かに対する漠然とした不安を抱えていて、みんなそれをどうすることもできずにいる。あるいは、何かをやってみても満足できず充実感を得られない。現代というのはそういう時代なのかもしれません。

II

では、何をしたら満足感や充実感を得られ、不安を解消できるのかというと、わたしたち大人もはっきりとした明確な答えを持っていません。「昔はこんなことなかった」と昔を懐かしみ、「こうすればいい」とか言っている人はいますが、本当かどうかはわかりません。このままでは、みんな「ムカツク」ことが日常になって、人生そんなもんだとあきらめてしまうのではないかとすら思われることがあります。
仕方ないと言いたくもなります。でも、本当に仕方ないで済ませてしまっていいのかと疑問です。誰もが自分のことだけで精一杯になってしまって、他人に「ムカツキ」や「イライラ」をぶつけてしまう世の中になってしまったらどうでしょうか。今よりもっともっと生きるのが難しい、愛だとか思いやりだとかが欠如した世の中になってしまうことでしょう。そういう世の中をつくりたくはありませんし、今よりもっともっとつらい世の中だろうとも思います。

III

昨日、わたしたちは今年度初めての献金をしました。この学校では月に一回日を決めて献金を行っています。これは、助けや支えを必要としている人々や団体のために献げられるものです。わたしはこの献金をとても大切な働きだと思っています。それは、献金が、わたしたちからは遠く離れている、けれども頑張っている、そして助けを必要としている人々に愛や思いやりを届けることだと思うからです。わたしたちの生きるこの世界を本当の意味で豊かにしようとする働きだと思うからです。
そして、このことは、「ムカツキ」や「イライラ」傾向に傾きつつあるこの世の中に、歯止めをかける小さな力なのだとも思っています。自分の「ムカツキ」や「イライラ」を何とかすることばかりを考え、みんなが自分のことしか考えないような世の中にならないための小さな抵抗なのだと思っています。財布の中が千円のときと百円しか入っていないときでは気分は違うでしょう。同じように、自分自身のことだけで精一杯なときに他人に愛や思いやりを届けようとするのは難しいことです。そんな余裕はないというときもあるだろうと思います。
今「ムカツイ」ている。「イライラ」を感じている。不安や不満を抱えている。自分のことだけで精一杯だ。それがわたしたちの姿なのでしょう。でも、少しでもいいから隣人のことを考えたいと思うのです。そして、自分にできる愛や思いやりを隣人たちに示したいのです。自分のことだけではなく、様々な隣人たちのことを心をこめて祈ったり、できる限りの献金をしたりすることを大切に考えたいのです。それが、わたしたち自身とこの世界を本当に豊かにしていくことだと信じるからです。