宗教主任 石垣 雅子

聖書の言葉

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

新約聖書 ヨハネによる福音書8章32節

I

わたしたちが生きている今という時代はどんな時代なのでしょうか。偉い人たちが「今はあまり良い時代ではない」とか「昔の方が良かった」とかよく言っています。そういう言葉を聞く度、「ちょっと待て、本当にそうなのか」と考えてしまいます。「昔の方が良かった」と語ることによってわたしたちを不安に陥れる作戦なのではないかとすら思えるのです。
しかし、今という時代はとても不安定な時代のように思えます。これまで常識とされたことがそうではなくなったりして、常識が通用しなくなっているように思えます。あるいは、すごい力でもってどこかへ押し流されていき、それなのにどこへ流されていくのか誰もわからないでいるように思えます。みんなこの先にあるものが見えないでいるのです。あるいは、言葉というものが思いや願いを伝えるものでありながらお互いの間でなかな通じにくくなっているように思えます。誰かを信頼したり、誰かを本当に愛したり、誰かと丁寧に話し合ったりすることがとても難しい時代になっているのかもしれません。
一体何がそうさせているのかわたしにはわかりません。そして、わたし自身も不安や不安定さを抱えながら生活しています。今の時代が不安定なものであるのと同時にわたしも含めたわたしたちも不安定です。何を本当に信頼すればいいのか、何が正しくて何が間違っているのかわからないでいるので自分自身に自信を持つことができないでいます。本当のこと、すなわち真理を求めるよりも様々な見せかけのものに惑わされ、揺れ動いているのです。

II

本校は今年もまた6月25日に創立記念日を迎えます。今から114年前、1886年に現在の日本キリスト教団弘前教会の一室に創られた小さな学校が今わたしたちがいる弘前学院聖愛高等学校です。1886年という年がどういう時代であったのかわたしたちはこの目で確かめてみることはできません。しかし、色々なものを読んでみる限りにおいて、この時代もまた不安定な時代であったようです。徳川幕府が終わりを告げ、明治政府が日本の近代化を始めようとしていた頃です。今までの常識が通用しなくなり世の中が激しく動いていた時代です。そういう不安定さの中で女性のための学校を創った。それもキリスト教に基づいた学校を創ったわけです。何を信じればいいのかわからない、何が本当のことかわからなくなるような時代に、キリスト教の精神を掲げて人を育てようとしたわけです。
このことは少なくともどこを目指そうとしていたかだけははっきりしていると思います。世間から高い評価を受けるために学校を創ったのではなかった。従順で聞き分けの良い人々を育てようとしたのでもなかった。おそらく、どんな時代であったとしても自分自身と隣人を大切にできる人を育てていくことを願ったのではないでしょうか。不安定さの中で自分自身を失ってしまうのではなく、胸を張って生きることを目指そうとしたのではないでしょうか。

III

考えてみるに、このことは本当のことを見分け、本当のことを探していく力を持った人を生み出したかったということです。言い換えれば、真理を求めていくことが大事なんだ、それが人を育てていく基本なんだということなのかもしれません。
今日読んだ聖書には「真理はあなたたちを自由にする」というイエスの言葉がありました。この言葉を聞くとき、時代や社会が悪いとか、先が見えないから不安だとか、何をやったってどうにもならないとか言ってしまいたくはないのです。今の時代がどのようなものであっったとしても、真理はあるはずです。真理を見いだすことはできるはずです。わたしたちが生きているこの世の中に、本当に正しいもの、本当に信じるべきもの、すなわち真理を見いだしたいと思います。