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嶺尚先生からのメッセージ

嶺先生からメールをいただきました。嶺先生は1968年に弘前学院短期大学専任講師として奉職なさって以来、31年間弘前学院でお働きになられました。聖愛高校には1975年から退職なさるまでの1998年までいらっしゃいました。ご退職後も教育に対する情熱は衰えるどころか、ますます強くなり中国で、日本でフル回転のご活躍です。

メッセージ

皆さん、お元気ですか。聖愛高校のホームページを見たら、懐かしくなり、少しお便りしたくなりました。私は1975年から1998年まで聖愛高校で聖書 (1997年まで宗教主任) を担当していました。

1998年に埼玉に移り、日本基督教団関東教区巡回教師として、時々地域の教会の礼拝のお手伝いをしています。1998年10月から2000年3月まで町の中学校で教育相談員をして、主に不登校の生徒の相手をしていました。

2000年8月から2002年7月まで日本キリスト教協議会の推薦で、中国の愛徳基金会から派遣されて、湖南省の省都長沙にある長沙大学で日本語を教えました。日本語の会話や作文、日本文化などを主として教えていました。中国の自然や歴史や文化に触れ、中国人の心の広さや優しさや暖かい人情を知ることができ、多くのことを学ぶことができました。中国は経済が急成長し、自由化も進んでいますが、まだまだ貧しい人々や失業者が多く、ハンディキャップのある人々などへの福祉が遅れていると思いました。皆さんの献金で支援していただき、本当に感謝しております。

日本に帰ってから、中国での教え子が留学や就学で日本に来たり、日本企業に就職した人が研修に来たりして、もう10人の人と日本で会う事ができました。とても嬉しく思います。また自分の持っていた日本語やドイツ語の本を合計33箱、中国の2大学1学校に寄贈して喜ばれました。

2003年4月から今住んでいる町の日本語教室でボランティアとして週1回お手伝いしています。中国人、韓国人、フィリピン人、スペイン人、コロンビア人等々いろいろな人々が、入れ替わり立ち代り、日本語を習いに来ます。だいたい日本人男性と結婚している女性が多く、また研修に来ている男性もいます。去年の10月から日本人と結婚した母親に引き取られてフィリピンから来た14歳と15歳の息子兄弟に日本語を教えました。彼らはこの4月から町の中学校に編入学します。また勉強だけではなく、浴衣の着付け、お琴とお茶の会、民族料理の会、クリスマス、新年パーティ−等行事によって交流したり、親睦を図ったりしています。いろいろな国のお国柄が分かりなかなか楽しいです。

それでは皆さんお元気で!神様のお守りのもとお幸せであるようお祈りいたし ます。

嶺    尚
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弘前学院聖愛高等学校
http://www.seiai.ed.jp/