ユダヤとパレスチナ

担当:梨本佳恵 エジプト旅行中

黄金比の授業にも写真で参加!

イェルサレム

イェルサレムです。1km四方(東京ディズニーランドくらいの広さ)に、なんと3つの宗教の聖地が集まっています。その3つの宗教とは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教です。

イェルサレム

世界中のどこを見渡しても、3つの宗教の聖地が集まっているところなんて ほかにはありません。

イスラム教

岩のドーム

岩のドーム

ムハンマドが天に召されたところ

ユダヤ教

嘆きの壁

ユダヤの神殿があったところ

嘆きの壁

キリスト教

聖墳墓教会

聖墳墓教会

キリストが十字架に架けられたところ

イスラエルとパレスチナ

この街は、イスラエルという国の中にあります。どこにあるのでしょうか。

(当日の授業ではEarth and Moon Viewerというところから得た衛星画像を使用しましたが、そのままここに掲載することは著作権の問題があります。新たに絵を描き、クリックすることで直接リンクするようにしました。新しいウインドウをつくってリンクします。リアルタイムで現地が夜の場合は陰になっています。)

マウスを画像の上に重ねるとパレスチナ地方が赤で示されます。

パレスチナの位置

拡大図です。

パレスチナの位置−拡大図

イスラエルは、ユダヤ人中心の国です。 そして、イスラエルを含むこのあたりのことをパレスチナ地方と呼ぶのですが、 今、この土地をめぐってユダヤ人とアラブ人という2つの民族が、激しくけんかをしています。

つい最近のニュースの中にも、「アラブ人のテロリストがユダヤ人の集まるところに 爆弾をしょっていって自爆した。」なんていうショッキングなものがありました。 この人たちはなんでけんかするのでしょう?

ユダヤの民

今から2000年ほど前、ここパレスチナの地にはユダヤ人が暮らしていました。 この土地は、ヨーロッパとアジアの文明の間に位置し、砂漠だらけの中にあって唯一作物が育つ 場所でした。魅力的な土地だったのですね。 それで彼らの国は、いろいろな民族にねらわれ、やがてほかの民族に入れ替わり立ち替わり 占領されてしまいます。

その時から、彼らは国を持たない民として世界中に離散してしまいました。 でも、彼らにはユダヤ教という宗教を通じての固い結束力がありました。 離ればなれになっても、民族としての自覚と誇りを忘れることは決してなかったのです。

そんな彼らが、特に第二次世界大戦中にヨーロッパで邪魔者扱いされて、 何百万人も殺されたという出来事は知っていますね。

アラブ人

一方アラブ人は、今から1400年くらい前に(日本では、聖徳太子が活躍していたころ) ムハンマドという人が始めたイスラム教を信じるようになっていました。 彼らは、聖なる戦い(ジハード)を行って勢力をどんどん拡大し、 ここパレスチナも征服しました。 それ以来、ここはイスラム教徒の土地にもなったのです。

征服したアラブ人たちは、イスラム教をパレスチナに住むユダヤ人たちに強制する ことはありませんでした。まあまあ仲良く暮らしていたんです。 第二次世界大戦が終わるまでは・・・。

第二次世界大戦後のイスラエル建国

第二次世界大戦後、国際連合(以下、国連)という世界の平和を守るための機関ができました。 国連は、「戦争中にユダヤ人があんなにたくさんいじめられたのは、彼らに 国がないからだ。ユダヤ人はかわいそうだ。」といって、2000年前に彼らの国があった 場所、すなわちパレスチナ地方を半分にして、アラブ人の国とユダヤ人の国とに分けるという 決定を下しました。

これを受けて、世界中のユダヤ人たちがパレスチナに戻ってきました。 こうしてできた国が、イスラエルです。1948年のことです。

中東戦争

でも、そうなると、ここに住んでいたアラブ人にしたら、たまったものではありません。 「先祖代々、アラブ人たちで守ってきた土地をよそ者なんかにわたせるかー!」 といって、イスラエルに攻め込みました。 これが中東戦争です。

アラブ人の言い分も分かりますよね。彼らだって、1400年もパレスチナに暮らしてきたのです。

中東戦争は1973年までに全部で4回も行われたのですが、いずれもイスラエル側にアメリカや イギリス・フランスといった力の強い国々が味方したこともあって、アラブ人の完敗でした。 それで、ユダヤ人がパレスチナを全部占領してしまうと、今度はアラブ人が行き場を失って 難民になってしまいました。このアラブ人難民のことを「パレスチナ人」といいます。

パレスチナ人の自治区

するとどうでしょう。 今度は世界の国々が、「パレスチナ人に住む場所がないのもかわいそうだ。 イスラエルは、領土を少し分けてやれ。」といったのです。 その後両者は少しずつ話し合いを進めていきました。 それでやっと今から9年前の1993年に、当時のイスラエルのラビン首相と パレスチナ人の代表のアラファト議長が話し合って、

の2ヶ所をパレスチナ人が自分たちで政治ができるように認め合いました。 2人は、長年の両者の対立を解決する大きなきっかけをつくったということで人々の賞賛を受け、 それぞれノーベル平和賞を受賞しました。

パレスチナ人自治区

再び和平の後退

この時には、「難問だったパレスチナの問題は解決の方向に向かっている」となったわけですが、 直後に、和平派のラビンさんが同じユダヤ教徒に暗殺されたり、 ユダヤ人が、イスラム教徒がたくさん住んでいるイェルサレムの東側を返さないと言い張ったり、 パレスチナ人の自治区にイスラエル兵が居座ったりして、なんだか雲行きは怪しいままでした。

極めつけは、2000年9月の出来事です。 ユダヤ人のシャロンさん(この人はアラブ人に厳しい態度で接することで有名な人です。 現イスラエル首相)が、イェルサレムの「神殿の丘」というアラブ人にとって神聖な場所を 訪問したところ、アラブ人が怒って暴動を起こしました。 そして、これにすぐさま反応したイスラエル軍との衝突で多くの死傷者が出る騒ぎとなりました。

それ以来、アラブ人とユダヤ人の和平は進むどころか後退してしまっているのです。 最近の自爆テロ事件などは、この事件の直後から頻発するようになってしまったのですね。 今はお互いにとても感情的になっているので、この先どうなるか本当に心配です。

私たちにできること

この問題を解決するために、私達は何をするべきでしょうか? 遠い国の出来事として、ほうっておけばよいのでしょうか? イスラム教やユダヤ教と縁のうすい私達が、パレスチナのことに首をつっこんでも どうにもならないと考える人もいるかもしれません。 だけど、ひょっとしたら、イスラム教徒でもユダヤ教徒でもなく、 中立の立場で物事を言える我々日本人こそが、 彼らの対立を解消するよい案を提示することができるのかもしれませんよね。




弘前学院聖愛高等学校
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