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後ろから支える神

宗教主任  石垣 雅子

〜聖書の言葉〜

あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
「これが行くべき道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け」と。

旧約聖書 イザヤ書30章21節

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今読みました聖書はイザヤ書と言います。ここでは、神がわたしたち人間を恵みをもって導くイメージが語られています(イザヤ書30章18−21節)。その中でも今日注目したいのは「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。」という言葉です。背後というのはわたしたちの後ろということです。わたしたちは通常自分の後ろを見ることができません。だから、自分の後ろに何かがあること、誰かがいることに不安を抱きます。おおげさに言えば、強盗や悪い人が後ろから近寄ってきて、何者か姿が見えないまま羽交い締めにされたりするかもしれないと思ったりもするわけです。あるいは、自分には見えないところや聞こえないところで自分の悪口を言われているんじゃないかと考えたりもするわけです。

しかし、聖書のこの箇所で言われているのはそのような意味ではないと思います。これは、おそらく羊飼いのイメージなのだと思われます。羊が野原に散らばり、水や草を求めていくとき、羊飼いは羊たちを追いかけながら道を示していきます。先頭に立って道案内をするのではありません。一番後ろを歩きながら、羊たちに道を示していくのだそうです。羊たちが道に迷わないように、遅れないように、ついて来られないことのないようにと目を配り気を配るのが羊飼いの重要な仕事なわけです。

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背後にいて、羊たちを導き、世話し、支える。手を引かれるようにして、こっちだあっちだと指図されるのではない。決められた道を無理に強いられて歩かせられるのでもない。そうではなく、見えない後ろにいて、見捨てずに守ってくれる存在がいる。倒れようとするとき、後ろから手を添えて倒れないように支えてくれる。わたしたちの行く道を示してくれるのはそのような神なのだというのです。

最初に言いましたが、後ろにいるということは不安をもたらすかもしれません。本当にいるのかどうかと疑問に思うかもしれません。見えないものは信じられないと思うかもしれません。でも、わたしたちの背後には見えないけれどもわたしたちの人生を支えようとする神がいます。わたしたちの行く道を示し導く神がいます。  決して見捨てない。決して高圧的な態度で命令したりはしない。ささやくように背後から静かに語りかける神なのかもしれません。それは、わたしたちに愛を注ぎ続ける神です。わたしたちと共に歩く神です。今日の聖書が語るのはそのような神の姿です。

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弘前学院聖愛高等学校
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