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昔々、この南の島では

宗教主任 石 垣 雅 子

〜聖書の言葉〜

 知る力と見抜く力を身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙1勝9節

I

 今年の夏休み、わたしは沖縄の西表(いりおもて)島という島へ行きました。西表島という島は沖縄本島から南西に500キロくらいのところにあり、天然記念物のイリオモテヤマネコでも有名です。人間が住んでいるのは島の10パーセントくらいの土地で、あとの90パーセントはまさにジャングルです。一説によると「東洋のガラパゴス」とも呼ばれるくらいだそうです。島を一周する道路もありません。うっそうと茂った緑の木々が海まではみ出しているような感じでした。これまでも何度か行ったことはあったのですが、今回はゆっくり滞在して趣味のスキューバダイビングを楽しみました。海の中も色々な生物がたくさんいて、自然がとても豊かな島であることを感じました。
 しかし、この島を舞台にして50数年前とてもつらく悲しい出来事が起こりました。第二次世界大戦の末期のことです。近くの波照間島という島に住んでいた人々が西表島に強制移住させられ、多くの人々がマラリアにかかり生命をおとしたのです。ある日突然ヤマシタと名乗る男が波照間島にやって来て、それから間もなく「波照間島全島民、西表島に疎開せよ」という日本軍の命令を伝えるのです。軍の命令です。逆らうことは許されませんでした。人々は泣く泣く西表島に渡りました。そこで待っていたのは深い西表の森です。森の中にはマラリアを媒介をするハマダラカという蚊がいました。強制移住させられた人々は次々とマラリアになりました。薬もありません。40度近い高熱を出し苦しみながらたくさんの人々が死んでいきました。西表島の南風見田(はえみだ)というところにはそのことを忘れないために石碑が建っています。

II

 戦争というものはそういうものなのかもしれません。人々を悲しませたり苦しませたり、人々の生命を奪ってしまったりするものなのでしょう。圧倒的な力でもって流されていかざる得ないのでしょう。それが戦争なんだから仕方がないという言い方もできてしまうのかもしれません。そして、そんな昔におこったことは知らないとか、そんな南の島の歴史なんて自分とは関係ないとか言ってしまうこともできるのかもしれません。あるいは、そういうかわいそうなことがあったんだ、死んだ人たちは気の毒だという感想を抱くしかないのかもしれません。
 けれども、わたしはもう一歩踏みこんで考えてみたいと思ったのです。西表島は夜になると闇に包まれます。50数年前深い森の中で、マラリアに苦しめられながら(言い換えれば戦争に苦しめられながら)その人たちはどんな思いだっただろうと考えるのです。その人たちが味わった孤独、悲しさ、絶望感、そういったものはどんなだったのだろうと想像してみるのです。
 今わたしたちにできることはそのような想像力を働かせてみることなのではないかとわたしは思います。今日の聖書は語っています。「知る力と見抜く力を身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と。知る力と見抜く力を育てるために必要なこととはやはり想像力を働かせてみることだろうと思うのです。物事を知り自分と関係ある事柄として近づけてとらえてみること。さらに、想像力を働かせて自分なりに考えてみること。今年、南の島の夏休みにわたしが考えたのはそんなことでした。

 

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弘前学院聖愛高等学校
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